2月頃NHKで放映された、飯田市・千代小学校の児童たちが、旧千代村から満州に渡り犠牲になった人々の氏名が刻まれた慰霊碑をデータベース化したというニュースを、偶然見ました。慰霊碑の拓本を取り、一人一人どこでどう亡くなったのか丹念に調べてまとめる――とても大変な作業だったことでしょう。慰霊碑を綺麗にする児童たちを見て、満州から帰還し、慰霊碑をずっと守ってきたという男性が浮かべた表情がとても印象的でした。
満蒙開拓平和記念館へ
このニュースを見て、阿智村にある満蒙開拓平和記念館へ行ってみることにしました。高森町からは車で40分ほどかかります。
満蒙開拓平和記念館は、日本で唯一の満蒙開拓の歴史に特化した民間施設で、2013年にオープンしました。時代背景や開拓の実情、敗戦後の逃避行などが8つに区分され、展示されています。
長野県、特に飯田下伊那出身者が最多
約27万人。日本全国から、これだけの人が開拓団として満州へと渡っていきました。そのうち、長野県からは31,264人とダントツです。2位の山形県は13,252人と、2倍以上の差があります。長野県出身者が最多であることは知っていましたが、2位とこんなにも違うとは思っていませんでした。
では長野県内の内訳はどうか。なんと飯田下伊那から送出されたのは8,389人(義勇隊990人含む)!長野県出身者の約4分の1を占めています。高森町の人口(令和5年2月1日現在、高森町HP)が12,883人ですから、とんでもない数字であることが一目瞭然です。
しかも1945年5月に渡っていった開拓団もあり、愕然としました。
映像に残る笑顔と証言の生々しさ
第2展示室では満州での映像や写真が投影されています。映る方たちは皆にこにこ笑顔で、生き生きとしています。幸せそうです。けれどこういった映像や写真は、撮影する余裕があった時のものなんですよね。
続く展示室には、入植した土地がどのあたりかという詳細な地図や現地の家の復元模型、日本へのハガキなどが展示されています。大陸はとても広く、入植地も思っていたよりずっと広いです。ソ連との国境がすぐ目の前にあります。ここからの逃避行ははてしなく、また多くの残留孤児・婦人が取り残されました。
逃避行時の証言はどれも辛いものばかりです。語り口調がそのまま文字化されていることもあって、とても生々しいです。展示されているのは、証言から抜粋された箇所だけですがとても胸が痛く、また目を背けたくもなります。別棟には映像の証言もあって、開館中は常時見ることができるようになっていました。
残留孤児・婦人についての展示室もあります。子どもの頃、「残留孤児の○○さんの親戚が見つかった」というニュースを何度か見ましたが、国による本格的な身元調査が始まったのは1981年だったということをこちらの展示で知りました。最近では日本帰国後に元残留孤児の方たち、そのご家族たちがどのように暮らしてきたかという話を耳にすることが増えましたが、それも私たちの無関心さを思い知らされます。
大人も、子どもも
館内には千羽鶴もたくさん飾られていました。県内外の小中学校の校名がついた千羽鶴もあり、感想コーナーにも子どもの筆跡が見られました。ここは決して大人だけの施設ではありません。むしろ「戦争について詳しくないから子どもに教えにくい」という方も、ぜひ子供連れで訪れて欲しい場所です。
熊谷元一写真童画館へ
せっかく満蒙開拓平和記念館まで来たので、もう少し足を延ばして熊谷元一写真童画館にも行ってきました。昼神温泉郷に入ってすぐにある、阿智村出身の写真家・童画家である熊谷元一の作品を展示する施設です。主に一階が写真、二階が童画と分かれています。
一階にあった「一年生」という作品郡は、名前の通り小学校1年生を撮影したものですが、そこに写る子供たちの生き生きとした表情といったら!今も昔も子供の可愛らしさは変わらないものだなあと感じました。二階の童画もとても愛らしくほのぼのしていて、ほっこりした気分になります。
一番身近な戦争に目を向ける
以前何度かご紹介しましたが、高森町では広島に平和バスを派遣したり、平和推進月間を設けたりなどして、平和教育に力を入れています。子どもの頃から平和について考える環境があるのは、とても大事なことだと思います。
ウクライナのニュースを聞いて気が滅入ることも多い毎日ですが、そんな時だからこそ過去の歴史に目を向けてみることが大事かもしれません。よく考えてみれば、戦争が最も身近だった時代からまだ100年も経っていません。けれど広島や長崎、沖縄といった学校で習うことは知っていても、足元の記憶についてはおざなりになりがちではないでしょうか。
戦争経験者がいなくなる中でその記憶をどう継承していくか。冒頭でご紹介した千代小学校の取り組みはまさにその一環だと思います。その後を伝えるニュースもたまたま見ましたが、慰霊碑の清掃などはその場限りのことではなく、きちんと在校生に受け継がれたそうです。
個人にできることは大きくありませんが、私もささやかであっても関心を向け続けていきたいと思っています。