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成 田 青 畔 記 念 館

    (玄妙庵)

高森町山吹の『山吹公園』の傍らの木立に囲まれた中に、20年近く、たたずむ『玄妙庵(成田青畔記念館)』をご存知でしたでしょうか?

この建物は当初、染色家の『熊谷好博子』さんがアトリエとして建てられた建物でしたが、入居に至らないうちに熊谷さんは亡くなってしまわれ………その後、仏画師の方のアトリエとしても使われていた経過を経て、熊谷さんとも少なからぬご縁のあった成田青畔さんの奥さまの成田夕紀子さんが住むことになったそうです………

青畔さんは瑠璃寺の近くで創作活動をされていたそうですが、没後、奥さまが作品の数々と共に成田青畔記念館として、そこに住まわれたのでした。

私が成田青畔記念館、玄妙庵にお邪魔したのは、成田さん宅での篠笛の教室での稽古の折でした。成田さんが篠笛の福原先生とご縁があって、笛の教室として10数年、お宅を開放してくださっていたのでした🎶笛の教室は成田青畔記念館としての催しであるとも伺いました。

東京から、ほぼ毎月見えた福原先生の教室は、ここ3年余りはコロナ禍の為、先生も来られず、稽古ができない状態でした。

そしてようやく今年5月末の土日に久しぶりに成田さん宅で稽古の時を持てました。でも残念な事にこの日の稽古が、成田さんが東京の娘さんのもとに引っ越しをされる為、成田青畔記念館での最後の稽古となりました。

成田さんのご主人は成田青畔さんと言う彫刻家でしたが20年程前、61歳の若さで亡くなってしまわれたそうです。彼は東京港区麻布にある、曹洞宗永平寺別院、長谷寺(ちょうこくじ)の観音像の制作に、仏教彫刻界の権威、大内青圃氏の助手として8年ほど関わり、ノミをふるっておられたと聞いています。この観音像は日本の木彫三大観音の一つだそうです。

亡くなるまでの、創作活動でかなりの作品を創られ、それは青畔記念館に展示されており、有難い事にそれらの作品に囲まれた環境で笛のレッスンを受けることができたのでした。

作品をいつでも見ることができると思っている時と今では、随分気持ちが違うものですね。皆さんにお知らせしなくては💦とブログを書き始めたのですが…中々筆が進まず、公開が7月も末になってしまいました……m(_ _)m💦

穏やかで端正な仏像のお顔、衣の襞も繊細に表現されており、又クラシック音楽の響きを黒い細い角材で表されたりしたオブジェ風なもの、絵画や書等々の展示がありました。

又、青畔さんがよく研いで使ったであろうおびただしい数々のノミも、いくつもの引出しに沢山しまわれてありました。ノミにまつわることは、夕紀子さんの著書、『夫 成田青畔』(2016年出版)にも……ノミ研ぎ三年……等、記されてありました。

今、 口伝えに、その作品に関心を寄せる人々が訪れていると聞きましたが、高森町にこんな芸術作品が置かれていた事を、多くの方には知られずに…成田青畔記念館は 8月、まもなく閉じられてしまいます。

まだ、 お引越しの日ははっきりしませんが8月10日頃までは大丈夫とか… 訪ねる場合は0265-35-2181に問い合わせて成田さんに確認してから、 お訪ねくださいm(__)m 分けてしまった作品もあるようですが、並べられた作品は見せて頂けると思います。

山吹公園の傍らの木立に囲まれた一帯は、しもわらびや、秋の麒麟草や白花ホトトギスが咲き、岡虎の尾も群生していた自然。そして建物も、外観も中の作りも、素敵なお家でしたが、この後どのように利用されるのでしょう…

ふるさとの宝は、そうであったことも、 その存在も人々に知られずに、過ぎてしまうこともあるのは残念な事です・・

ちなみに、成田青畔記念館で成田さんが始めてくださった福原先生の篠笛教室はお蔭様で新たに飯田市松尾のメンバーの家をお借りして、7月から又再開されました。🎶

今度の篠笛教室の、松尾のお宅に置かれることになった作品の一つです
こちらは掌に包まれた仏様です

柿丸

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