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Tokyo2020 ~高森町からしあわせはこぶ 巨大人形「モッコ」が行く~ Part2

Part1では、モッコとはなにか?どんな人たちが関わっているのかなど、その概要をご紹介しました。では、そんなモッコがなぜここ、長野県の高森町で生まれたのでしょう。
Part2は、モッコと高森町の関係についてです。

沢さんといいだ人形劇フェスタ🎎

 我らが高森町のおとなり、飯田市は古くから人形芝居の文化があり、毎年8月には「いいだ人形劇フェスタ」という日本で最大の人形劇のお祭りが開催されています。
 モッコの生みの親で、人形劇師の沢さんは、1997年にこのフェスタに初出演し、2008年からは毎年参加されているので飯田・下伊那地域とは元々つながりがありました。さらに、高森町内に住んでいる沢さんのご友人のつてもあり、高さおよそ10m、重さ約1トンの巨大操り人形の制作場所として、かつて植物園だった、天井の高い温室があるここ高森町の「アグリ交流センター」に、白羽の矢が立ったのです。

🎀モッコと高森町のつながり

Ⅰ.制作ボランティア
 巨大な人形制作のためには、専門のスタッフ以外にボランティアの力が不可欠。高森町でも随時募集をかけ、縫い物、材料の調達、力仕事など様々な場面で100名を超えるボランティアが参加しました。
また、制作と同じ会場で行われる「熱中小学校」では、授業の一環として、メンバーが小道具の鳥作りを行いました。(右写真)


Ⅰー2.竹取の翁チーム
 モッコの皮膚素材として使われた竹は、町内の竹林から調達。取ってきた竹を割り、加工する作業なども必要だったため、ボランティアの中でも、ここだけで沢さんが「竹取の翁チーム」と呼ぶほどの専門部隊として活躍したのです。

Ⅱ.鋼鉄業者
モッコの肌としての表面素材は竹ですが、骨格は鉄製。この加工🔨などの骨格づくりにも、町内の鋼鉄業者が協力しています。

Ⅲ.マントにこめられたメッセージ
 モッコがまとっているマント。実は、ここには2019年に町内の小中学生が作成した、東北へのメッセージが縫い込まれています。

⏱時系列で見るモッコと高森町の歩み

高森町 2021年広報5月号より。クリックで拡大します

そのほか、操演者にもプロの方と一緒に高森町の役場職員が加わり、ともに各地の公演にも参加してきました。

操りひもを持つ操演者。モッコを動かすにはかなりの人数が必要です

そして、そんなモッコの制作現場や練習風景、5月に行われた壮行会などには多くの高森町民が駆けつけ、モッコを知り、ここまで応援してきました。

こんな、高森町の素材がたくさん組み込まれ、町民の応援エネルギーを全身に浴びて育ったモッコ。いよいよ千秋楽の東京公演が迫ってきました。では、モッコって実際どんなことができるの?どんな動きをするの?次の記事では、熱中小学校でモッコに関わったメンバーの感想とともに、モッコの躍動する姿をご覧ください😉(Part3は👉👉コチラ

柿丸

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